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Channel: 世界のお墓いろいろ
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イスラム教、死者の町―①

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エジプトのカイロ郊外、モカッタムの丘の下に広い範囲でイスラム教徒の墓地が、 幅1キロ、長さ1キロ半くらいのエリアに広がっていますが、この地帯は「死者の町」と呼ばれています。 死者の町と聞くと、幽霊が出てきそうな、心霊スポットのような不気味な場所という感じがしますが、 立派な堂屋式の古い墓が立ち並び、普通に2万人の人々が暮らしています。 そして、死者の町の北側にある北の墓地には、一般の墓にまじり、マムルーク朝の権力者の大きな廟が所々にあるのです。 世界遺産としても登録されているイスラム建築郡の一部を、このエリアで見ることができるのです。 このマムルーク朝の建築物が点在するエリアは、ガイドブックでも紹介されているため、観光客がちらほら歩いています。 一番有名なのが、「カーイトゥベーイの墓とマスキド」(1474年建立)で、茶色っぽい赤と白のストライプの外観はもちろん、 色鮮やかなステンドグラスや絨毯の下に見える幾何学模様の大理石の床板、ガラスのシャンデリアなど、豪華な装飾に見ごたえがあります。 また、この建築物は、1ポンド札の裏側に印刷されているのです。 カーイトゥベーイといえば、アレキサンドリアの要塞が最も有名です。 数あるカーイトゥベーイの建築物の中でもマスキドが最高だとされています。 墓が立ち並ぶ死者の町では、死者が葬られていた墓を家として普通に暮らしている人々がいます。 お墓は、暗さを感じさせず、まるで普通の家のような感じで、この町は、学校やお店などもあり、一般的な町として機能しているのです。 ここの住人の中には、墓の持ち主に墓守りとして頼まれて住んでいる人もいますし、勝手に住みついている人もいたりして、貧しい人が住む地帯の一つとなっています。 しかし、なぜこの地帯に人が住むようになったのでしょうか。 もともと中世のカイロは城壁都市で、人々は城の中で生まれ、学校に通い、仕事をし、死んでいく生涯を送っていました。 住人が亡くなると最初は城の中に埋葬していたが、人口増加に伴い、王は城外に墓地を作るように指示し、そこに埋葬するようになりました。 金持ちの市民たちは、競うように豪華な墓を建てたのです。 半地下式のお堂タイプが一般的でしたが、中には3階建てや5階建の墓を建てる人もいました。 カイロは砂漠の中にある町なので、乾燥しており、遺体を外気にさらせばミイラとなっていくように、合理的な自然乾燥式でした。 このようにして、壁の側面に棚が何段かあり、そこに5人程度の棺を収容できるような造りになっていたのです。 19世紀になるとさらに人口は増え、城の中には収まりきれず、カイロ市街にあたる地域に中心部を移し、 新しい都心と定め、人口が100万人増えても収容できるような都市計画を行いました。 しかし、現在のカイロの人口は、実際のところ1200万人くらい住んでいるといわれている程に膨れ上がり、郊外から職を求めてカイロにくる人々は、住む場所に困りました。 そこで、死者の町に住むようになったのです。 このようにして、死者の町に住む人が増え、やがて学校ができ、お店ができ、旅館ができ、普通の町として機能し始めたのです。

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